恵比寿

22日、久しぶりに恵比寿に友人達と焼肉を食べに行った。端々に見えるさりげない心遣いがありがたかった。

恵比寿は母との思い出が深い街の一つだ。母の誕生日に、お気に入りの中華料理店でフカヒレを食べた。かなり症状は進んでいたにも関わらず、かなりの量を食べていた。美味しい、美味しい、と。ランチのセット以外に、単品で大好きな春巻きも追加で注文した。母に一緒に暮らそう、と切り出したら、涙を浮かべて喜んでくれた。もっと早く決断していたら、もっと長く生きてくれたのでは、と、何度も何度も思う。

焼肉屋に向かう途中で、履いていたサンダルのストラップが取れてしまった。取れた瞬間、母の仕業かもしれない、と咄嗟に思って苦笑いした。(心霊現象とか、こじつけだ思っているのだけど、あらゆる事象に母の存在を見出してしまう。でも、そんなもんだよね。茄子や胡瓜に爪楊枝挿して飾るのとか、そうゆうものじゃん。)

履いていたサンダルは母のモノだった。黒の総レースのワンピースも、黒のエナメルのバッグも、母のモノ。最近の私は、母の服を着てみて着心地を確かめては、これは「使える・使えない」「棄てる・取っておく」を判断している。

サンダルが壊れた瞬間、悲しかったけど、同時に安堵した。棄てるのを躊躇っていた靴達を、ちゃんと成仏させようと決心できた。棄てるという行為はかなりエネルギーを消費する。もしかしたら使えるかも、と取っておくことは楽だ。とりあえず思考停止できる。でもそれは問題の先送りだ。いつか向き合わなくてはいけない。

サンダルのストラップが壊れて右足を引きづる姿を母が見ている気がした。「大事にママのものを使ってくれるのはありがたいけど、新しいちゃんとした靴を買いんさい。お金ちゃんと渡してあるでしょ。飲み屋や落語をほっつき歩かないで、オシャレで女性らしい良い格好して、いい男をゲットしなさい!」母のお説教が今も聴こえる。

最後にフカヒレを食べた日も、ちょっとお茶していく?洋服とバッグと靴、一緒に選びに行こう?って誘ってくれた。私はそれをなんだかんだと言い訳を並べて断った。あの時、甘えておけば良かった。甘えることが親孝行だなんて気が付かなかった。もう、私に本当に似合うモノを勧めてくれる人は居ない。私の本当の良さを知ってくれる人。私の嗜好を知ってる人。掛け値無しに自分の稼ぎを注ぎ込んで喜んでくれる人はこの世に居ない。

焼肉屋待ち合わせ30分前ぽっちでは、自分の好みの靴なんて見つけられない。買い物が苦手なんだ。本当に心底欲しいと目星を付けて買わないと駄目な性分だから。ママがいたら、ハイ!コレ!って決めてくれるだろう。

寂しいよ。このブログを書く時は決まって1人で飲んで酔っ払っている。泣きながらスマホのメモに打ち込んでいる。居酒屋で、電車の中で、家の骨壷の前で。普段は割と落ち着いていて、気持ちの整理がついたと思っているけど。駄目だな。一人酒辞めたい。辞められないんだけど。

何が言いたいのか分からなくなった。焼肉は美味しい。友達はありがたい。自分らしい服装をすることは大切。オシャレしたらいい男をゲット出来る。