無題

6月5日に母が転倒してから
宏ちゃんは所用が無い限り
うちに泊まっていた。

宏ちゃんの家は隣の県にあり
うちまで約2時間かかる。
交通費も片道1000円近くかかる。

母が入院している間も泊まった。
「泊まった」というのも
「帰ってきた」というのも
どちらも違和感を覚えるのだが。
一応「おかえりなさい」という。
(時々「お疲れさまです」ともいう。

火葬の後も寝泊まりしていた。
母が寝ていたベッドに寝そべって。

宏ちゃんはしばらく仕事をしていない。
仕事をしていないおかげで、
母に付きっきりで
看病してもらえたのでありがたい。

が、しかし。
母が居ない今、
宏ちゃんがうちに来て、
母が愛用していたマッサージチェアに座り
私が買った扇風機に当たりながら
母たっての希望で買った大型4Kテレビを
私が日中汗水垂らして働いている間
のほほん〜と観ている

と思うと、腑に落ちない。

宏ちゃんはヘビースモーカーだ。
家の中では決して吸わないように、
と母がうるさく躾したせいか
部屋では吸わない。

ビーチサンダルを履いて
家の周りを散歩しながら
吸っているようだ。

先日、朝起きて台所に行くと
ゴミ箱からタバコの臭いがした。
まさか、と開けてみると
可燃ゴミと一緒に吸い殻が捨ててあった。

その日は朝の目覚めがすこぶる悪くて
怒りがこみ上げて来た。
家でタバコのゴミは
一切持ち込まないでくださいっ
と吐き捨てるように言い、
朝食も取らないまま出掛けた。

宏ちゃんの顔をまともに見れなかったが
戸惑いと申し訳無さと悲しさが
混じった声色で
「あ、ごめんね」って言った。

それっきり、宏ちゃんは
うちに泊まっていない。
私が仕事に行っている間、
お線香をあげに来ているようだ。
リンゴやキウイやモモやサクランボや
栗饅頭やカステラ、大福を
お供えしてくれている。

帰宅すると
台所の豆電球が点いてて
それが嬉しいけど、切ない。
「お帰りなさい。お疲れさまです。
ジュースを作ったので
飲んでください。」と
置き手紙をしてくれる。

リンゴとニンジンとレモンで作ったジュース
甘さと瑞々しさが全細胞に沁みる。

このままでは駄目だ。
母と暮らすために借りたこの家には
結局2ヶ月も居なかった母の
沢山の希望が詰まりすぎている。

上野公園を散歩したい
動物園のパスポートを買って毎日通いたい
美術館にも行きたい
友達を沢山作りたい

願いを叶えてあげられなかった無力感に
宏ちゃんも私も心が潰れそうになる。

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