無題

泣いてもなんの解決にもならないと分かっているのに、泣いてしまう。仕事から帰る電車の中でも、母と同じ世代の、道行く見知らぬ人を見ても、このブログを書きながらでも、涙が止まらない。悲しいから、泣いているのだろうか。自分でもよく分からない。

死は果たして、泣くようなことなのだろうか。離ればなれになること、もう二度と会わないこと、自分を知ってくれている人が居なくなることは悲しい。話し相手が居なくなるのが寂しい。それは結局エゴなのだろうか。死んでもなお、故人に話し掛けると応えが返ってきそうな感じは、結局他己の形に替えた自己との対話の一種なのかな。

この世を離れて違うところに旅立つことは、喜び祝うことなのかもしれないとも思う。特定の信仰を私は持たないけれど、こういう時に宗教は頼りになるのだろうなぁ。

泣いた後はスッキリする。マスターベーションのような、解毒と快感と疲労感。悲しいと思いながら涙を我慢したり、涙を流すことすら忘れるほど感情を殺していると、首や喉や肩甲骨あたりが酷く詰まった感じになる。

泣こう。泣いてもいいや。電車でも、道端でも、人前でも。もう、隠し事をしたくないのだよ。どう思われようと、もう、いいや。