2つの病院

22日月曜日に初めて行った病院での対応がとても良かったようで安心した。主治医になってもらえて、今後入院が必要になった際も受け入れてくれるとのこと。今までの医者が言ってもうまく理解できなかったことでも、心を許した先生が言うと納得していた。人に対してもこだわりが強いので、相性が良い先生に巡り会えてよかった。

一方、25日早朝に片道2時間かけて訪ねた東京都下のあるクリニックは、一言でいうと『残念』だった。自費診療で代替療法を行うのだが、問診の時点で治療をしても望む結果は得られないだろうとのこと。「あと、半年早ければ。痛み止めを飲んでいなければ」惨いたらればだなぁ。その療法がいかに素晴らしいのか院長は講演会のように延々と語っていたのだが、手遅れならもう聴いてもしゃあない。途中で切り上げて帰った。

母がなんとしてもこのクリニックに行きたいのだと泣いて懇願していたのだが、手遅れと言われても別段動揺している様子はなかった。ただ、疲れた。と言った。ベストを尽くしたとも思えないけど、まぁ、試してみたいと思ったことが駄目だったと分かっただけでも悔いは残らずよかった。

帰りは更に渋滞して3時間半かかった。途中でコメダ珈琲店でモーニングを食べた。久しぶりのコーヒー、バター付きの厚切りトースト、コロッケ、たまごサンドを食べていて内心驚いた。何を食べていいのか悪いのか分からない、と嘆いていたのに、主治医に何でも食べられそうなモノを少しずつでいいから食べなさいと言われて気持ちが変わったようだ。

生きること、死ぬこと、食べること。について、毎日考える。考えはまとまらない。

無題

泣いてもなんの解決にもならないと分かっているのに、泣いてしまう。仕事から帰る電車の中でも、母と同じ世代の、道行く見知らぬ人を見ても、このブログを書きながらでも、涙が止まらない。悲しいから、泣いているのだろうか。自分でもよく分からない。

死は果たして、泣くようなことなのだろうか。離ればなれになること、もう二度と会わないこと、自分を知ってくれている人が居なくなることは悲しい。話し相手が居なくなるのが寂しい。それは結局エゴなのだろうか。死んでもなお、故人に話し掛けると応えが返ってきそうな感じは、結局他己の形に替えた自己との対話の一種なのかな。

この世を離れて違うところに旅立つことは、喜び祝うことなのかもしれないとも思う。特定の信仰を私は持たないけれど、こういう時に宗教は頼りになるのだろうなぁ。

泣いた後はスッキリする。マスターベーションのような、解毒と快感と疲労感。悲しいと思いながら涙を我慢したり、涙を流すことすら忘れるほど感情を殺していると、首や喉や肩甲骨あたりが酷く詰まった感じになる。

泣こう。泣いてもいいや。電車でも、道端でも、人前でも。もう、隠し事をしたくないのだよ。どう思われようと、もう、いいや。

無題

思い残したこと
やっておきたいこと
連絡を取りたい人はいないの?

と訊いたら、

なんにもない。
もう十分。
みーちゃんと住むことが私の希望だった。
最後にみーちゃんと暮らせてよかった。
と言った。

「みーちゃんが良い人でよかった。
世の中には、親が死に目にあっても
会おうとしない子供がいる中で
みーちゃんはちゃんと
親を見捨てず大事にしてくれて
向き合ってくれる人で良かった。
大人の女性で立派に暮らして
賢くて安心した。」

いつもは意識が朦朧として
たどたどしくしゃべるのに
泣きじゃくる私を諭すように
明朗な発音で言った。

少しだけ、救われた。
私は思い残すことばかりだよ。
後悔しても、しきれない。
もっと、もっと、もっと。

「私は幸せ。ラッキーなのよ。
みーちゃんもラッキー。
若いうちに、独り身のうちに
親が居なくなってラッキーよ。
自分が老いてから、家族に気を遣いながら
老いた親の面倒見ないで済むんだもん。」

モノは考えようだな。
さすが、私の母だわ。

宏ちゃん

昨日職場の人に、初めて母のことを話した。
なんと声を掛けたらいいか、
とても戸惑っていたようだったが
なんでも相談して。
なんとでもなるんだから。
親は大事だから。
と、力強く言ってもらえて
ほんの少し心が軽くなった。

帰宅がいつもより遅くなった。
締まっているはずの玄関の鍵が開いていて
締め忘れたのかなと思いつつ
様子を見に母の部屋に入ると
深刻な面持ちの母がベッドに座っていた。

「さっきね、1時間前、
急にお腹が痛くなってね
動けないほどの、今までにない痛みで。
宏ちゃんに電話したらね
今から来るって」

ああ。
だから玄関のドアを開けておいたのか。
宏ちゃんは20年来内縁関係にある人だ。
我が家から電車で2時間の所から
ほぼ毎日、母の様子を見に来る。

夜中11時過ぎ、宏ちゃん到着。
とてもとても心配そうな顔をしていた。
宏ちゃんはいい人だけど
口臭も体臭も煙草の匂いが染み付いていて
私は少し苦手だ。

10分位話して様子を伺って
安心したのか
もしくは居たたまれなくなったのか
宏ちゃんは帰った。

母は強い痛み止めを飲んで
眠りについた。

母が居なくなった後のことを
色々と考える。
この家に住み続けるのか。
母のモノはどうしようか。
宏ちゃんとは繋がりを持ち続けるのか。

セブンイレブン

塩麹で作った鶏ハムと、完熟のアボカドとプチトマトと、自家製のマヨネーズと粒マスタードを塗った天然酵母胚芽パンでサンドイッチを作った。朝イチで、母のリクエストで作った。夜帰宅して「ごめんね。一口も食べられなかった」と言われた。うん。仕方ないね。無理しないで。

 

煮干しと昆布と鰹で取った出汁で、麺つゆを作り、鍋焼き素うどんを作った。食べてくれたけど、残した。謝られた。うん。仕方ないね。麺が硬かったんだね。

 

ねぇ。みーちゃん。セブンで冷やしぶっかけうどん買ってきて。あれなら食べられる。煮込めば柔らかくなるし、つゆが美味しい。

 

ねぇ。みーちゃん。セブンで、春巻きとコロッケとグリーンサラダ買ってきて。スーパーのお惣菜じゃなくて、セブンのがいい。セブンのなら食べられる。

 

 

セブンイレブン。すごいね。もう、セブンでいいね。セブン最高。近くて便利。いい気分。

無題

今朝9時ちょうど、
出勤前に
とあるクリニックに電話した

がん治療専門のクリニック
母が肌身離さず持ち読んでいる本の
著者が開業医のクリニック

保険はきかず全て自由診療
治らないがんは無いと言い切る

アロマセラピーやハーブ、東洋医学など
代替医療の知識は多少あるものの
こういう書籍を多数出版する医者に
私は懐疑的である
(問診表を郵送して、院長が目を通し
初診の日時を決める。とのこと。
必ずしも診て「もらえる」とは限らない点で
100%治りそうながんだけを診れば
「治らないがんは無い」といえるんじゃね?

そういう想いが
顔や態度に出ているのであろう
母に泣かれた。
「アンタは私が生きようとすることを
良く思っとらんのんじゃねぇ。
早う死ねばええと思うとるんじゃろう。
邪魔なんじゃね。
私が受けたい治療を受けさしてくれん。
まずは大学病院。まずは緩和ケア。言うて
私は、親身になって一緒に考えてくれる
先生と治したいんよ!
どうしたらええか分からん。
自分では調べる方法が分からんけ
アンタにお願いしとるのに
面倒くさそうに嫌な顔して…」

そんなつもりはなかった
調べてほしいことは
真っ先に調べて問い合わせて来たし
望むことは叶えてあげたい、と
休みの日も出勤前も帰宅後も全部
費やしていた
仕事中だって休憩中だって
片時も母が頭を離れることは、無い

でも。
本当は。
心の奥底で。
母の言う通り。

死んでほしいと思ってるんだと思う
早く、こんな状況が終わればいい
こんな辛い日々、いつ終わるのか知りたい
最後に母とまた暮らせて良かったなと
思うこともあるけれど
いつまで続くのか分からない状態は
とても、とても、こわい
自分の人生が台無しにされる
干渉され続けるのが本当に嫌だ

こんなことを考えながら
クリニックに電話した自分は
どんな顔をしていただろうか
藁にもすがる想いで
電話しているように見えたかな
何としても母を助けたいと必死に願う
僅かな奇跡に賭ける希望を持つ
娘の顔をしていただろうか