無題

してもらって当たり前。という態度は、大病しても取っちゃ駄目だ。どんな時も、どんな事にも、ありがとう。助かります。って言える人でいよう。自分のためにも、周りの人にも気持ちよい人間でありたい。どんなに辛くても、その辛さに浸っていたらますます辛くなる。感謝してればいい表情で居られる。

無題


ここ数日、ご飯が食べられないらしい

車酔いをしたような
胃から逆流するような
気持ち悪さと
胃の痛みを感じるらしい

意識も朦朧として
呂律が回っていない
5月1日に病院で処方された
痛み止めの薬が強すぎるようで
一日中眠そうだし
歩くのも不安定な様子

「これ以上良くなることはない
痛みはどんどん増えてくる
近所のスーパーに行くのもしんどいんよ
何買おうか、どれにしようか
悩んだだけでお腹が痛くなる
なにもかも初めてのことで
どうしたらいいんか分からん」

私にも分からん
私にも初めてのことなんよ
なにしてほしいか
言ってくれんと分からん
でも母はよう言えん
ごはん作っても
手をつけてくれん
なにしてあげたらいいか
途方に暮れる

ビール

夜、仕事から帰宅してカバンを置き
スーツを脱いでシャツのボタンを外し
台所の灯りを点け料理を始めると同時に
冷蔵庫の缶ビールを開けてプハァ〜〜〜ッ
帰宅して1分以内のアクション

母はそんな私を
「おお。やってる、やってる」
と面白そうに眺める。

アルコールを一切受け付けなくなった
母の前で飲むのは気が引けたが
変な気遣いや我慢はストレスがたまるので
遠慮なくグビグビやらせて頂く。

「全っ然、飲みたいと思わなくなったの」
と母は言う。

本当だろうか?
ビールが大好きで
今の私と同じ歳の頃は
アサヒスーパードライの大瓶を
ケースで注文し定期的に配達させてた。
毎夜、晩酌に付き合わされた。

もう、飲みたいって欲求
湧かないのだろうか?
飲むと胃痛がするから
諦めているのだろうか?

ビールの他にも、
焼肉、寿司、ラーメン、中華、ケーキ。
もう、全然食べたいと
思わなくなったのだろうか。

大好きだったモノが
食べられなくなるなんて…。
食べるために生き、
食べるために働く私には辛い…。

なんて。
そんなことを思っても
仕方ない。
知ったことではない。
(冷たい言い方に聞こえるけど
何かと自責してしまう私には
この台詞は今、とても支えになる)

母は母。私は私だ。
知ったことではない。

チキンカレー

昨日のミネストローネの余りに
ヨーグルト・ゲランド塩・ハチミツ・
クミンでマリネした鶏もも肉と
カレー粉を加えてチキンカレーを作った。
スパイスのいい匂いが台所に立ち込める。

食事療法しなきゃ!とのたまうくせに
コンビニのサンドイッチや
スーパーのちらし寿司を買って来る母
(ふた口食べたら満足してしまう)に
私が出来ることは、少しでも
手料理を食べて喜んでもらうことくらい。

「いただきます」
「ごちそうさま。おいしかった」を
母にいわれるなんて。

もう、母の作る唐揚げやおにぎりや
カレーや煮しめやお雑煮や鯵の南蛮漬けや
巻き寿司を食べられないなんて。

ああ。もっと、もっと、
甘えておけばよかった。

「いってらっしゃい。
玄関のドア閉めておくよ。」と見送られ
「いってきます」と出掛ける朝。

「ただいま」とドアを開け、
「おかえり」と迎えられる夜。

些細なやり取りが懐かしくて新鮮だ。
(ひとり暮らしの時は、
猫の置物や植物や家具家電に
「みんな!ただいま!元気だった?
今日も頑張ったよ!」と話し掛けていた。)

いずれこのルーティンが
なくなる日が来るのだと気付き、
しんみりする。

人はいずれ死ぬ。
当たり前のことを忘れたり、
目を背けてしまいがちだ。

もしかすると、
これが最後の「行ってきます」
「行ってらっしゃい」になるかもしれない。

ぞんざいな言い方になってしまったな。
顔も見ずドタバタ出掛けてしまったな。
と反省する時もある。

どんなにベストを尽くしても、
きっと後悔してもしきれないのだろうなぁ。
4年前に死んだ愛猫にさえ、
未だに後悔することばかりだもんなぁ。
でもどうだろうなぁ。
親と猫は違うもんなぁ。

ミネストローネ

引っ越して初めて料理した。外食続きだったので、沢山の野菜と優しい味を欲していた。母も食べられるようなメニューを、と思い、ミネストローネにした。「料理上手くなったのね!涙が出る程感動した。元気になれる。」とのこと。嬉しいやら、照れ臭いやら。

 

内見の時は階段上るのも辛そうだったが、少し脚力が付いたようだ。これからどうなっていくのか分からないけど、ルームシェアしている位の気楽さで一緒に暮らしていく。